2月13日 HBKがWWFチャンピオンを返上

WWE

1997年2月13日、WWFはマサチューセッツ州ローウェルのメモリアル・オーディトリアムからサーズデーナイトRAW(録画放送)史上2度目となる2時間番組として放送されたRAW(最初のエピソードはWWFがWCWの月曜放送に対抗するために番組を2時間に拡大し放送した)はカナダでは通常の月曜夜の時間枠で放送されたが、アメリカ向けには事前に録画されたものであり、WWFは特別エピソードをサーズデーナイトRAWとして宣伝を行った。

この日、ロッキー・メイビア(ドウェイン・ザ・ロック・ジョンソン)がハンター・ハースト・ヘルムスリーを破り、WWFインターコンチネンタル王座を獲得した。この勝利により、26歳のマイビアは当時WWF史上最年少のインターコンチネンタル王者となった(その後、ランディ・オートンが2003年に23歳で初のインターコンチネンタル王座を獲得しこの記録は破られる。現在もオートンが記録を保持している)

この番組で最も注目されたのは、ショーン・マイケルズが膝の負傷を理由にWWF王座を返上したことです。今日に至るまで、マイケルズが本当にタイトルを放棄しなければならないほど膝を負傷したのかどうかについては憶測が飛び交っていました。

WWF王座は空位になると宣言され、In your House Final Four新しいチャンピオンが誕生することになりました。先月のロイヤルランブルマッチで最後まで残った、ブレット・ハート、ベイダー、ストーンコールド・スティーブ・オースティン、ジ・アンダーテイカーの4人がタイトルをかけて対決することがアナウンスされた。そして、次のPPVでマイケルズのWWF王座に挑戦予定であったサイコ・シッドと次週のRAWで対戦することになりました。(結果:ブレットハートがWWF王座になる)

もう一つ注目すべき点が、この日のWWF王座返上によりマイケルズは、WWFの3つのメジャーチャンピオンシップすべてを返上した初めての男となった。マイケルズは1993年に出場停止によりインターコンチネンタル王座を返上され、1994年末にはディーゼルとのタッグチーム王座を返上された。さらにマイケルズがタイトルを剥奪されたのは1997年だけで収まらず、4か月後ブレット・ハートとのバックステージでのトラブルにより出場停止処分を受け、タッグチームタイトルを再び剥奪された。

ハートブレイクキッドはトラブルメーカーであった過去を持つが、とてつもないスターであり筆者に多大なる影響を与えたスーパースターの一人でした。マイケルズのマッスルポーズは著者のお気に入り。


2月13日に殿堂入りしたスーパースター

2006年2月13日 ブレット・ザ・ヒットマン・ハートの殿堂入りが発表された。
1997年11月9日に モントリオール事件 によりWWEとの仲違いが大々的になっていたブレット・“ザ・ヒットマン”・ハートだったがこの日殿堂入りを果たす。ブレットは殿堂入りの式典には出演したが、レッスルマニア22には出演しませんでした。

2007年2月13日  アメリカン・ドリームこと ダスティ・ローデスがWWE殿堂入りすることを発表した。ダスティ・ローデスはゴールダストとアメリカンナイトメアこと コーディ・ローデスの父親でも知られております。


2月13日 マテル社WWEの玩具ライセンス権を取得したと発表

2008年2月13日、マテル社はWWEの玩具ライセンス権を取得したと発表した。この契約以前に最新のライセンス契約を勝ち取るために贈収賄があったとされるジャックス・パシフィック社をマテル社が告発しました。それに対する訴訟が棄却されてから数カ月後に行われた。マテル社は2010年1月からWWEの正式な玩具メーカーとなる。2024年 現在もマテル社がWWEの玩具メーカーとして契約は続いている。
この契約が発表された直後、ジャックス・パシフィック社は2010年1月から「WWEのライバル会社」TNA向けに玩具を製造すると発表した。

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